ガザーくり返される虐殺

【文字起こし】

2014年7月8日イスラエルはパレスチナ自治区ガザへ侵攻、50日間の攻撃で2100人以上が殺され、その約8割が女性や子供などの民間人だった。2014年7月下旬この戦争の実態を取材するため私はガザへ向かった。

志葉玲「私はこれからガザ市内に移動します。道中は非常に危険なのでイスラエル軍が手配したバスに乗ってジャーナリストたちは移動します」

安全なのはバスに乗っている間だけだ。イスラエル軍はガザで取材するジャーナリストの身の安全は保証しないという。ガザ中心部に着いた私が見たものは無差別な破壊だった。瓦礫と化した我が家の前で人々は途方に暮れていた。

志葉玲「今私は最も激しい攻撃を受けた地域の一つShujaiya地区に来ています。」

Shujaiya地区はイスラエルとの国境に近く徹底的な攻撃を受けた。数時間の一次停戦の間に人々は家財を取りに戻ったが自宅のある場所がわからなくなるほど町並みは変わってしまった。かろうじて原型をとどめた家々も中はイスラエル兵に荒らされていた。

医療関係者への攻撃はジュネーブ条約違反の戦争犯罪だ。

志葉玲「救急車も破壊されています。」

瓦礫の下から子どもたちが枕を取り出していました。避難所では布団や枕などの寝具が極端に不足しているからです。

志葉玲「我々の取材中に時折イスラエル軍と思われる爆撃音が聞こえます。地元の方がそろそろ逃げたほうがいいというので我々も撤退します。

深夜0時を過ぎた辺りから空爆が始まりました。ガザ市内の攻撃が行われているようです。時折大きな爆発音がします。

病院には怪我人や遺体が次々運び込まれてきた。まだ幼い子どもたちも傷つき泣き叫ぶ。この日の朝ジャベル一家の家に爆弾が落とされ一家20人が殺されてた。ガザでは大家族が多く親兄弟や親戚が一つの家に住むことが珍しくないため民家が攻撃されると被害が大きいのだ。

病院の遺体安置室はいっぱいだ。犠牲者の遺体はその日のうちに埋葬される。遺族たちは急いで墓を掘る。イスラエル軍の無人攻撃機からいつ爆撃されるかわからないからだ。7月30日ガザ市近くの国連の学校が爆撃された。この戦争でイスラエル軍は国連の学校を3つも攻撃している。いずれも我が家を追われた人々の避難場所だった。戦争中でも一般市民を殺すことはジュネーブ条約で禁止されている。だかイスラエル軍はお構いなしだ。

現場には犠牲者の肉片や骨が撒き散らされ血の臭いが漂っていた。なぜ避難民まで殺すのか。いや、それこそが目的なのか。

現地国連職員チーフ アミール・ムスハル氏「これはガザ市民に対する戦争だ。ガザで殺されているのは、ほとんどが女性や子供を含む民間人だ。」

インフラ施設も破壊された・

志葉玲「ガザ中部の発電所が攻撃され火災が発生しています。」

唯一の発電所を破壊され、ガザの電力不足は深刻に。一日一時間程度しか電力供給が行われなくなった。

志葉玲「先日の発電所変攻撃でガザ全域で深刻な電力不足となっております。このようにスーパーの冷蔵庫なんかも止まってしまってまして飲み物なんかはぬるくなっています。生物なんかも腐りやすくなっておりまして、野菜なんかも傷んだ物ばかりです」

医療機関への影響も出ている。

ガザ南部の病院「病院には発電機があるが、24時刊フル稼働なので故障するおそれがある。予備の発電機もあるがICUなど最も重要なところしか電気が使えない。」

電力や医薬品が不足する中で怪我人はどんどん増えていく。

麻布ムード君は妹のハニーちゃんと一緒にガザ南部、ラファから運ばてきた。両親や兄弟は皆殺されてしまった。ラファでは、雨あられのように砲弾が降り注ぎ地獄のような状況だった。

志葉玲「ガザを車で移動するのは大変危険なのでこのように“T・V”とメディアの車だという事を大書きして移動しております。」

猛攻を受けているガザ南部ラファを目指すが。イスラエル軍が撃ってきたので一旦避難することに。一次停戦の間に再びラファへ向かう。

ラファで出会ったパティさんの家畜飼料工場は文字通り穴だらけになっていた。イスラエルによる経済封鎖の影響でガザの経済は破綻しており失業率が高い。パティさんや彼の息子たちの貴重な職場が奪われてしまったのだ。工場の機器や顧客リストなど重要書類が全て燃えてしまってしまい、再建しようにもお金がない。この工場には人生の大半を費やしてきた。『私は全てを失った。明日からどうやって生きていけばいいのかわからない』そうパティさんは嘆く。

50日間の戦争が終わりイスラエル軍とガザの武装勢力ハマスが停戦した。だが本当の平和が訪れたとは残念ながら言えないだろう。2008年末から2009年1月、イスラエルはガザに大規模な攻撃を加え徹底的な破壊を行った。非武装の民間人も無差別に殺し国連の避難所や食料医薬品庫も空爆した。これらの戦争犯罪の責任追及が行われる事もなく2012年11月ガザへの大規模な空爆が行われた。取材を終えて帰国しようとする私にガザに友人が言った言葉が耳に残っている。

「また、何年か後に会いましょう。その頃、また大きな戦争が起きて、あなたもガザに戻ってくるでしょうから」

虐殺は何度でもくり返される。国際社会が戦争犯罪を追求しない限り。私達が沈黙している限り。

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