1991年の第一次湾岸戦争で核兵器が使われた : 元米軍兵の告発

湾岸戦争当時、アメリカと同盟軍は、バスラ市とイラン国境の間で5キロトンの核兵器を使用したという証言を退役軍人のジム・ブラウン氏が告発した。ジム・ブラウンは1965年生まれ、22歳で陸軍に入隊。フォーとドラム駐屯地、第10山岳分隊所属機械工兵となり1990年9月25日から1991年2月16日までサウジアラビアにで「砂漠の嵐」作戦に参加。その後帰国して、そのころから体調の不調を訴え始める。それは、他の多くの元米軍兵士同様くにから 認知を得るための長い戦いの始まりでもあった。

彼の病気の原因はサウジアラビアで接種させられた「炭疽病」予防ワクチンが原因と思われる。1997年にそれまでの幾つかの訴えが公式に受け入れられ、それに伴い、第4レベルの機械工兵から第3レベルへと降格された。この措置により本来の任務を遂行できなくなり、除隊を余儀なくされた。(ただし名誉除隊扱い)

彼の現在の仕事である退役軍人ネットワークの組織力には既に大手メディアも注目しており2003年の諮問委員会での湾岸戦争退役軍人たちの健康問題の訴えに関するニューヨーク・タイムズ氏の記事もある。また湾岸戦争帰還兵たちのよって組織されるGulf Watch Inmterlligence Networking Systemという名の情報交換ネットワークの設立メンバーでカナダ人のジャーナリスト、トーマス・ウィリアムスのウェブサイトにてジム・ブラウンは偽名で、初めて小型核爆弾の使用を証言した。これはテレビとしては初めてのインタビューとなる。

Q「なぜ核爆弾が使用されたのですか?」

ジム「今までに確認されている内で、最も可能性の高い理由の一つとしては『我々はどんな手段を使ってでも、この戦争に勝つつもりだ」という渓谷をサダム・フセインに突き付けることでした。」

しかし彼の証言の裏付けとなるような事実はあるのでしょうか?我々はデーターバンクで、問題のイラク、バスラ付近で、核爆発と同規模の地震が観測されていないか、データーを当たってみました。5キロトンの地中核爆発はマグニチュードに換算すると約4.2に相当します。すると42日間続いた「砂漠の嵐作戦」の間で、唯一観測された地震は、まさにマグニチュード4.2の規模で、しかもジム・ブラウンが明らかにした場所、すなわち、バスラとイランの国境との間付近が震源であることが判明したのです。

342793号地震と分類され、1991年2月27日(砂漠の嵐作戦最終日)の13時39分に起こったと記録されています。この地震は、世界各地の9つの地震観測所で観測されました。イランで2箇所、ネパールで4箇所、カナダとスウェーデンで1箇所ずつ、そしてノルウェーの2箇所。ノルウェーの観測所では、地震の規模の推定計算もなされ、その結果マグニチュード4.2、震源の深さは第一層(0-33km)

これらの他にも世界中に数多く存在する観測施設のデーターを照合することによって、もっと詳しく判明してくるはずですが、なにぶんにも膨大な照合作業となるので、できれば、国際的な反核団体や各国の地震観測所などの協力の下に、地震波が地下核爆発によるものなのか、あるいは自然地震なのかを解明することが望まれます。

しかしそれにしても、彼の言うような核兵器が「砂漠の嵐」作戦において使用されたとされるには、いったいどのような歴史的・政治的背景があったのでしょうか。もう一度、当時の状況を時系列で追いながら見てみましょう。

1990年8月2日 サダム・フセインがクウェートに侵攻。

1991年1月16日 米大統領ジョージ・ブッシュは「砂漠の嵐」作戦の開始を世界に向けて宣言。これは1948年以来最大規模の軍事行動だとされる。米国の他、28カ国が参加し、同盟国軍を編成。それをイスラム諸国はどう思っていたであろうか。

ベイカー国務長官「中東の基地を作るに当たっては、我々は核の使用すら念頭に置いている。大統領がその方向性を示したとか、そういったただ漠然としたものではない。サダム・フセインに対して、はっきりとした警告を与えるのが目的だ。大東力が『核兵器の使用も辞さない』と名言したということは、当然のことながら、その選択肢も、現実の可能性として存在し、決してハッタリではないということだ」

もしサダム・フセインが生物・化学兵器を使用するならば、アメリカ国防省は核兵器による報復攻撃をするかもしれない。もっとも、その具体的な使用に関しては、敢えて明確にはされませんでした。ベイカー国務長官がまさにその「意図的な曖昧性』の見事な見本と言えるでしょう。

ジム「重要な点は、どちらにしてもアメリカにとっては都合が良かったのです。なぜなら、たとえ使用するにしろ、住む人も僅かな砂漠のど真ん中の戦場で、もちろん目撃者は出るだろうが、或いは、もしかした目撃されないかもしれない。何しろ核爆発は地中で起こるものだし、核爆発に伴う特徴的なキノコ雲も比較的小規模で、少し離れた場所からでは、何が起こっているのかは判らないでしょう。しかし放射能による影響は爆発した瞬間から永遠に続きます」

1991年には、もうひとつの新しい兵器が登場しました。劣化ウラン弾です。

Q「“砂漠の嵐”作戦では、初めて劣化ウラン弾が使用されました。何故ですか?」

ジム「劣化ウラン弾にせよ、小型核爆弾にせよ、たとえそれが微量にしろ“放射能反応を示す”という点については同じで、それ故にお互いを混同しやすい物です。それに加えて、劣化ウラン弾の標的にもたらす作用は、見た目にはそれが人体にしろ建物、或いは、戦車などの車両にしろ、ある意味本当の核爆発による結果に似ていると言えます。すなわち黒焦げで水分の全く蒸発してしまった死体。瞬時に破壊された道路、目や鼻からの出血など。小さな弾丸による残留放射線の影響も勿論あります。しかし、これらの弾丸が同じ場所に、例えばA-10攻撃機の機銃掃射などで何発も撃ち込まれた場合には、強い放射線の反応を示します。劣化ウラン弾の粉塵が撒き散らされるだけでなく、弾の爆発に伴う放射能汚染も起こるのです」

Q「それはもしかして本当の核爆発の事実を覆い隠す?」

ジム「はい、まさにそうです。核爆発の事実を覆い隠す目的もあります」

もし彼の言っている事が本当だとして、それならば“砂漠の嵐”最終日にアメリカ政府が小型核爆弾の使用に踏み切ったのは何故でしょう?

何かそのきっかけとなった出来事があったのでしょうか?推測でしかありませんが、問題の日の2日前、2月25日にイラクから一発のスカッド・ミサイルがサウジアラビアダラーンの米軍基地を直撃しました。28名の米軍兵士が死亡、負傷者は99名にも上ったこの事件によって米軍の怒りは頂点に達し、翌26日から27日にかけての深夜、クウェートとの国境の外側に居た避難民に向けて一斉攻撃を加え、全ての車両を破壊。米軍による報復攻撃は、もしかしたらこれだけではないのかもしれません。もちろん推測でしかありませんが1991年当時のアメリカ政府の外交方針からすれば充分にありえます。

Q「目撃証言などあるのですか?」

ジム「ええ、何人も居ます。私自身、現地に居合わせたという証人に会いました。他にもまた、別の証人が存在するという話も聞いています。もちろんちょっと奇妙に感じられるかもしれませんが、ともかく“情報共有組織”というものは、このようにして動くものなのです。誰からある情報を得たら、別の誰かがその情報の信憑性を確認し、そうやってモザイクの様に、一つ一つ除法を集積していって、最後には事件の全体像が浮かび上がってくるというのです。政府が関与している事件については、それがどこの国であれ、この様な事を政府自身が明らかにする事は絶対にありません」

Q「そもそも、そういった情報をどうやって知り得たのですか?」

ジム「私が組織した情報共有組織が“GULF WATCH I.N.S Intelligence Networking System”という名の湾岸戦争帰還兵団体です。私達はもう何年もこいった情報を集めています。そして、これらの事を公にし、またくり返されるのを阻止するためにです。なぜなら、もしこの話題(1991年の核兵器の使用の事実)が問題にされずに、そのまま有耶無耶に終わってしまったら。世論が問題にするまで使い続けるでしょう。(実際には2002年にも使用されましたし)これは何としても、止めさせなければいけません」


この番組を放送するにあたって、我々は、米国某省に「“砂漠の嵐”作戦で小型核爆弾を使用したとの情報を元米軍兵から得たのだが」と問いただしました。それに対するペンタゴンの答えは、「いつ(どの日付に)、それが起こったというんですか?」というものでした。加えて「1991年の第一次湾岸戦争においては通常兵器しか使われてはいない。米軍は5000ポンド(200トン)以上の爆発力を持つ爆弾を何種類も持っている。あなた方が言われるような事実(核爆発)があったかどうか、我々には確認する事はできない。しかし、もしそれ程の威力を持った爆弾が炸裂したのなら、各地の地震計などに記録されているであろう。繰り返すが、1991年の第一次湾岸戦争において、我々が使用したのは 通常兵器だけである」

次に送られてきたペンタゴンからの手紙には「“BLU-82”と呼ばれる7000トン相当の破壊力を持つ爆弾が、もしかしたら使用されたのかもしれない」重ねて「これはあくまで通常兵器である」ということを、念入りに強調してありました。この”BLU-82”は“全ての爆弾の母”、或いは、“デイジーカッター”との異名を持ち、酸素と水素、その他の混合剤を使用し、地中ではなく地表で起爆される。もちろん地震も引き起こすが、マグニチュード3程度が限界であって、観測データーにあるようなマグニチュード4.2という規模にはとても及ばないはずなのですが。

ジム「これらの小型核爆弾は、しばしば、他の種類の爆弾を同時に使用されます。FI(大規模爆風兵器)一般にはMOAB(全ての爆弾の母)というなでよく知られていますが、これらは小型核爆弾によく似た効果を示します例の“キノコ雲”すら生じるのです。ただ大きな違いは、放射能汚染です。核爆弾の場合は、爆発の威力もさることながら、放射性降下物による環境汚染が残ります。そこが爆発して終わりという通常爆弾との違いなのです。爆発後何年も何十年もそこに残り続けるのです」

背筋の凍るようなジム・ブラウンの告発ですが、その信憑性への確認は取れていません。「劣化ウラン弾は、小型核兵器の使用をカモフラージュするための隠れ蓑だ」とする彼の説は、今の所は仮説にしか過ぎません。しかし、その仮説が明らかなデマとは思えず、しかもこれ程の劇的な社会的重要性がある場合には、事実の確認を待つ間黙っているよりも「予防措置として警笛を鳴らす」という意味でも、我々ジャーナリズムの義務として、この告発を記録的に残し、社会に向けて発表するべきなのです。


それにバスラ付近では”砂漠の嵐”作戦以後、子供を含む沢山の人々が病気になるケースが増えています。我々はバスラ病院の腫瘍学科の主任であるジャワドゥ・アル・アリ博士に彼がイスタンブールでの学会に出席された折に会うことが出来ました。彼はバスラの放射能汚染に関しての数多くの研究をしています。

アリ博士「バスラの放射能汚染は1991年の第一次湾岸戦争中に始まりました。この時バスラにはおよそ300トンにも及ぶ劣化ウラン弾が撃ち込まれました。これにより、元々自然放射線量の非常に少なかったバスラの放射線値が一気に数倍に跳ね上がったのです。1991年の連合国軍の攻撃は、本当に激しい物でした。街中のインフラ全てが破壊されました。全ての橋も落とされたため、首都バグダッドに行くことすらできませんでした。

2003年(第二次湾岸戦争)でも同じことが繰り返されました。この時も100トン余りの劣化ウラン弾がイラクの一般市民の頭上に降り注ぎました。ごく一般市民の住む市街地の真ん中にさえ、お構いなしに撃ち込まれたのです。これは新たな問題を引き起こしました。癌の発生率、および先天性奇形児の増加、ご承知のようにウランの半減期は45億年です。これは長期間(ほぼ永遠)に渡る国土の水系の全面的汚染による、も殆どのイラク国民の抹殺計画とも言えるものです」

Q「バスラでの放射能汚染に関する調査は難しいですか?」

アリ博士「公式の報道官以外の人間が放射能について話すことは望まれません。そして、もちろん残念ながら我々は報道官ではありません。癌の増加や分布に関しては調査することはできますが、それらの原因についての研究はできません。予算が下りないんです。疫病や臨床学的な研究なら許されますが、放射能に関する研究となると許可が下りません。少なくとも我々の分野においてはそうです」

どうやらイラクにおける放射能の影響調査はかなり難しいようです。しかしそれはイラク人だけに限った事ではありません。イタリア人に対しても同様です。当時の閣僚であったマッティオーリ元大臣の経験を聞いてみましょう。

マッティオーリ「2001年1月、イラクのムバラク厚生大臣が私に会いたいと言ってきました。劣化ウラン弾に晒された地域のまさに酷い状況を示す資料を見せて放射能問題の規模の大きさの把握や、危険地区の割り出しといった疫学的調査の他、該当地域の住民の保護についてのイタリアの協力を要請しました。それに対してNATO(北大西洋条約機構)の司令部からの厳格な異議申立て、というか文字通り“禁止令”が出されたことを知らされたんです」

しかし科学的調査をいくら禁止したところで、バスラで使用された兵器による影響は年月を経ることにしたがってその劇的な実態が明らかになりつつある。

この表はバスラにおける癌での死亡件数の増加を示しています。

1989年には癌で死亡した人はたったの34人だったのに対し、2001年には年間600件を超えました。癌(腫瘍)の写真に関しては随分と珍しいケースの症状が沢山集まる結果となってしまいました。例えば“悪性線維性組織球腫”とか、とても珍しいタイプの癌で、放射線被曝が原因で起こるとされているものです。それで記録写真に撮りました。

20:25

また子供の癌についても写真がありますなぜなら、癌の発生する年代層が変わってきているからです。今まで、普通一般的には高年齢層に多く発病していたタイプの癌が今では随分と若い世代、6歳の児童にまで発病するといったケースも見られます。成人だった患者層が10歳以下の児童グループにそっくり移動してきているのです。これは大変珍しいことです。同時に10歳以下の自動が口蓋癌(リンパ腫)を発病するのも殆どありえない事です。

次はある夫婦の写真で家族に複数のがん患者が発生しました。このようなケースが他にも幾つかあり、私はおよそ31家族について調査しましたが、その数は増える一方で今では71家族を数えます。

同じ家族内で二人以上癌になるのは、今までは非常にまれなことでした。なぜ夫婦が急に一緒に癌を発病するようになったのでしょう。

複数の癌患者を持つ家族の分布図です。21家族がバスラの中心部、7家族が北部、1家族が西部地区、そして南東部地区の2家族。

こちらは5つの主だった種類の癌の発生分布図です。

戦争による破滅的なバスラの上記ょ、そしてそれが放射能汚染の影響であることは、ほぼ確実でしょう。ジャワダ・アル・アリ博士によれば、その原因は劣化ウランだということですが、ジム・ブラウンの話、つまり劣化ウラン弾は本物の小型核爆弾使用の隠れ蓑だというのは、繰り返しますが、今のところは“仮説”にしか過ぎません。ですが、1991年に劣化ウラン弾がNATO軍、イスラエル軍、ロシア軍、中国軍、etcにおいて初めて正式採用され、既に存在する核兵器と共に配備された、というのは事実です。(それらの保有国は言うまでもなくアメリカ、イギリス、フランス、イスラエル、ロシア、中国、インド、パキスタン etc)

これらの事実だけでももう既に充分に恐ろしい現実と直面している訳ですが、ジャワダ・アル・アリ博士の患者(被害者)たちのショッキングな映像を前にして我々は目を閉じて見てみぬふりをする事は許されません。



ナイラ証言

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